#17
心が変われば行動が変わる
今回は、お恥ずかしいのだが、私のちょっとした体験のご紹介からはじめる。それは、あるマラソン大会に参加した際の話である。
マラソンも後半
にさしかかった時に、私は、号泣してしまったことがある。マラソンを走っている最中に泣いている人なんて、そうそういないのに、私は、何故涙を流したのかというと、自分のさもしい心が明確になり、その後に、周囲の人たちへの感謝の心が止めどなくわき上がったからだ。
マラソンを走っていると、色んな事を考える。「こんなに遅いランナーだったら、もっと後方からスタートして欲しい(混雑したレースで前の人を抜くのは、精神的にも体力的にも応えるため)」「もっと交通規制をちゃんとやってくれよな(一般道を走ると、車と並走する場面もあり危ない)」というように、ちょっとした困難に遭遇すると、頭の中に、文句というか不平不満が浮かぶ。
ところが、30Kmの苦しい地点を何とか乗り越え、ゴールに向かって快調に走りだせた時、ふと意識が変わった。「どのランナーも、42.195Kmのゴールに向かって、懸命に走っているんだよな(みんな凄いなぁ)」「ボランティアの人たちがいるから、交通規制やドリンクも頂けるんだよな(ありがたいなぁ)」という感じにだ。
この気持ちになってから、沿道で声を枯らして応援してくれている人。交通整理をしてくれているお巡りさん。給水所でお水を配ってくれる人。ランナーが捨てた紙コップを掃除している人。そんな人たちの顔を見ると、有難くて、有難くて、涙が止まらなくなったのだ。そして、気がつくと「有難うございます」という言葉を心から発していた。 人間には、百八つの煩悩があると言われている。その中でも「欲望」「怒り」「愚痴」の三つは最も卑しい心で、取り払おうとしてもなかなかできないため、お釈迦様は、この三つを「三毒」と呼んだそうだ。
振り返ると「三毒」に侵された心で行動している自分が思い浮かぶ。が、最近はだいぶなくなってきたように思う。以前と比べて、仕事でも私的な時間でも、穏やかな心持ちでいられることが多くなってきた。多数参加型の研修の講師を務めていて、作文の作業が進まない受講生を見ると、以前は、「真剣さが足りないな。やる気になるためにどんなアプローチをしようか」と考えていたが、今は、「何か分からないことがあるんだろうな」と気づかい、そっと肩に手を当てて、声をかけるようになった。そうすると、想定外の理由がでてきたりする。ここに、他者を受容する意味を理解したというより、他者を尊重することで得られる心地よさが、身に染みついたような気がする。
このコラムの原稿を考えながら帰宅すると、新聞配達の女性が、当家のポストに新聞を投函しようとしていた。思わず走り寄り「ここの家の者なので、その新聞いただきます。ご苦労さま」と声をかけた。その女性は、恥ずかしそうに新聞を渡してくれて、笑顔でペコリと会釈を返してくれた。
人間に与えられる最高の報酬が笑顔であることを噛みしめて、この女性を見送った。
※HOT WILLerとは、「独自の志を持ち、その実現に向けた活動を実直に続けている人」を指す。この方々に向けた応援メッセージを毎月贈り続けている。※