#20
家内から教えられたこと
私事になるのだが、私は、自宅のトイレ掃除をここ何年間か続けている。始めたきっかけはいたって単純で、オフィスでは毎日掃除しているのに、自宅では何もしないというのは本末転倒だと感じたからだ。
自宅のトイレ掃除は週に1回なので、他者にこのことを公表するのはお恥ずかしい限りなのだが、今では、トイレ掃除の担当者は私であると家族からも認められ習慣化している。
掃除を始めた頃を思い出すと、家内からは「珍しいわね。何かあったの」と不思議に思われ、しばらくすると、「お父さんにトイレを綺麗にしてもらえるのは助かるわ」と褒めてもらえるようになった。そして、習慣化して当り前になると「お父さん、今日はまだ掃除していないけど、いつやってくれるの」と急き立てられるようになってきた。私としては、決してサボる気はないので、そんな時には「今、やろうと思っていたのに!」と、小学生が母親にいじけるのと同様な感情が湧いたりもする。
ここでお話ししたいのは、新しいことに取り組みだしたときに、その行動を見ている第三者の思いは、三段階で変化することである。
始めた当初の第一段階は、“珍しがられる”。この時点では、第三者から「何か新しいことを始めたけど、どうせそんなに長続きはしないだろう」という冷めた目で見られるものだ。
そして、しばらく継続できた第二段階に入ると、“褒められる”。「どうせ三日坊主だと思っていたけれど、ここまで続けるのは凄い」と称えてくれるようになる。
最後に、その取り組みが習慣化して定着すると、“やって当り前に思われる”。裏を返すと、やらないとマイナスのイメージを持たれることになる。私の家庭でのトイレ掃除は、まさに第三段階に入っていて、家事を多少は手伝う家庭的な夫、あるいは父親として認められたのかなと感じはじめていた。そして、時には家族に向かって「トイレをもっと綺麗につかいなさい。家だけではなく、外でもだぞ。トイレが綺麗だということは、必ず誰かが掃除してくれているんだから、感謝の気持ちを持って使わなければ罰が当たる」なんて講釈をぶっていた。 そんな自己満足をしていた際に、ふとあることに気がついた。それは、週の半ばごろにトイレの汚れが気になり掃除の日を迎えた時に、想像していたよりもトイレが綺麗なことがあるのだ。
自分が掃除をしていないのにトイレが綺麗になっている理由は明快で、誰かが掃除をしてくれているからに他ならない。掃除をするのは家内しかあり得ない。そこで、先日家内にこのことを確認してみると、何食わぬ顔で「そうですよ」との答えが返ってきた。
掃除の日を定めて継続することは良いことだが、それは、決めたことは続けなければという義務感で取り組んでいるに過ぎない。掃除のルールを守ることに加えて、汚れに気がついたら綺麗にするという行為をしなければ、トイレを常に清潔には保てない。
私が自己評価していた当り前のレベルは、決められたことをやることであり、家内の当り前のレベルは、常に清潔に保つことにある。しかも、家内は黙々とアピールすることもなく取り組んでいる。 家庭における母親(妻)の偉大さは、このような当り前のレベルにあるのだなと今更ながら気づき、自分が恥ずかしくなってしまった。
そんな思いを抱いて居間にいると、台所で家内がせっせと食器を洗っていたので、そそくさと食器拭きを手伝ったところ、家内の目は丸くなり“あら珍しい”という感じで私を見た。
当り前のレベルを高めるには、まだまだ先は長いし奥が深い。
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