#93
Hurdle
2007年に『夢をかなえるゾウ』という本がベストセラーになりました。
累計で200万部超える大ベストセラーだったので読まれた方も多いと思います。
インドで買ってきた土産物のゾウ、ガネーシャが主人公に課題を与え、
主人公が課題をクリアしていきながら夢を叶えていくという物語でした。
たくさんの課題(数えたら全部で29個あります!)の中で、私の記憶にもっとも強く刻まれているのが、
●応募する
でした。
応募するといっても懸賞ハガキを出すような応募ではありません。
ガネーシャは、起業支援団体に新規事業プランをプレゼンしたり、資格試験に挑戦したり、
自分の才能が公の場で他人に評価されるような状況に身を置くことを【応募】という言葉で表現しています。
そういう意味で、皆さんは最近、応募しているでしょうか?
◆
話は変わり、息子の部活。
10月25日、18回目の結婚記念日に息子のバスケットの公式戦がありました。
区の新人戦、ベスト8をかけた闘い。
相手は全国大会常連の区立中学です。
公立中学が何でそんなに毎年、毎年強いのかという疑問が湧きますが、
聞けば、その中学でバスケットをしたくて、
腕に覚えのある小学生が町どころか区や都を越えて越境入学してくるそうです。
今年のチームもモノ凄く強かったです!
息子のチームは126-30で惨敗。
1Qは46-0、前半終わって86-6。
私も長年バスケットを見てきましたが、こんな一方的な試合を見たのは初めてでした。
私が大学生の時、当時最強と言われた日体大との対戦でも、こんな惨めなスコアにはなっていません。
◆
公の場で自らの能力の不足をさらし続けなければならない・・・。
これはかなりキツイです。
ボクシングならセコンドがハンカチを投げて終了にすることもできるし、
野球にはコールドゲームという制度がありますが、バスケットには試合を途中で止める術はありません。
私は、息子たちの試合を見ながら、
嫌な言い方になりますが「これは公開処刑だな」と思っていました。
でも中学生や高校生の場合、こういうケースはたまに起こります。
私が高校生の時にも桑田・清原率いるPL学園が甲子園で29-7という試合をしました。
甲子園にはコールドゲームがなく、9回までやらなければならないためこんな結果が生まれたのです。
◆
試合があった夜、息子に感想を聞いてみました。
「今までで一番きつかった」とそうです。
息子は私に似たのかスタミナはある方で、一試合を通じて声を出し続けたり、走り続けることができます。
そんな彼が、この試合では顔を真っ赤にし、試合の終盤には膝に手をついてゼーゼー言ってました。
でも、その翌日からも大会前と同様に朝練へ行きだしました。
(ちなみに彼の学校は朝練がありません! つまりこの朝練は自主練です)
息子たちがこの試合で何かを感じ、胸に期するものがあったのか否かは定かではありません。
ただ、彼らの試合を見ていて感じたことがあります。
それは、冒頭のガネーシャの言葉を借りて表現するならば、
●大人は、しんどい応募はしていない
◆
皆さんは最近、応募していますか?
皆さんが最後に応募したのはいつですか?
社会人になり、定期試験も、通知表もなくりました。
人事考課はありますが、たいていの社会人にとって、
その結果は能力の多寡が公に晒されるものではありません。
「仕事が忙しい」というもっともらしい理由も手に入れました。
危険察知能力が高まり、ボロ負けしそうな相手との闘いは上手に回避できるようにもなりました。
すごい人に出会っても「あそこまではやらなくてもいいと思う」と言えば、
大半の人は賛同してくれるということも覚えました。
◆
学生時代は、世の中 ―おもに学校や先生― がHurdleを課してくれました。
社会人は自分からHurdleに応募しない限り、公開処刑をされることはありません。
ガネーシャの「応募する」が私の記憶に深く刻まれたのは、
その時の自分が応募していると胸を張って言える状態になかったから、
言い換えれば、痛いところを突かれたからなんだと思います。
今回、息子の試合を見て、こんなことを考えたのも
まだまだ応募が足りないと思う自分がいるからなんでしょう。
他人からの評価を受けない世界、
受けたとしても自分なりの理由で納得できてしまう世界、
応募しているようでそれなりの評価をもらえるのがわかっている世界
そんな世界は心地がいいけれど、大した成長は望めない。
一年にひとつでいいから本気の応募をしてみよう。
子どもたちに胸を張っていられるように。
2015年10月9日現在の東日本大震災の被害状況(警視庁・復興庁調べ)
死者:15,893人(前回から増加なし)
行方不明者:2,567人(前回より5名減)