#123
History of SHIBAMATA 100K
ちょっとまじめにマラソンの話。
はじめてのマラソンは2008年のホノルルマラソン。
初マラソンでサブ4の目標を掲げ、5分40秒/kmのラップを淡々と刻んだが
33キロ過ぎに両脚が痙攣。帰りのダイヤモンドヘッドの上り坂の長いこと、長いこと。
結果、4時間11分38秒でゴールにたどり着いた。
自己ワーストは、2013年の那覇マラソン。
トイレに行っている間に、自分のゲートは締め切られ、最後尾からのスタート。
人混みを縫うように前を窺ったが、30㎞手前で急減速。
残りは歩きとジョグの繰り返しで4時間18分10秒。
去年のゴールドコーストは、3時間40分切りを狙って
5分5秒/kmでペースメーカーを追走したが33㎞で失速。
最後は3時間53分52秒でゴール。
自己ベストは、2010年の佐倉朝日健康マラソン。
当時は社労士の勉強をしており、自分史上、最も練習しないで臨んだ大会。
現状を鑑み、高望みをせず、控えめにラップを刻んだのが奏功し、3時間45分23秒。
セカンドベストは、2015年の東京マラソン。
はじめて、歩かずに走り切ったレースで3時間50分59秒。
こうやって自分のダメなレースと良かったレースをふり返ってやっと気づいた。
◆
私は、暑くなると速く走れない・・・。
何だ、そんなこと。
って思う方も多いでしょうが、今回はちゃんとデータを使って分析を。
〇ヘタれた日の気温と天気
2008年12月14日 ホノルルマラソン(最高28℃/最低19℃)
*詳しいデータがなく同年12月の平均気温を掲載
2013年12月1日 那覇マラソン(最高21℃/最低12.6℃)
*天気は9時・晴 → 12時・晴 → 15時・晴
2017年7月2日 ゴールドコーストマラソン(最高22℃/最低14℃)
*詳しいデータがなく同年7月の平均気温を掲載
〇走れた日の気温と天気
2010年3月28日 佐倉朝日健康マラソン(最高7.2℃/最低4.8℃)
*9時・曇 → 12時・曇 → 15時・曇
2015年2月22日 東京マラソン(最高8℃/最低4.4℃)
*9時・曇 → 12時・曇 → 15時・曇
走れた日の気温は、両方とも最高気温が10℃未満の寒い日でした。
しかも、太陽もあまり意地悪をせず、朝から曇り空。
◆
そして本題の柴又100Kの分析。
これまで出場した全6回の結果と当日の気温、時間帯別天気は以下の通り。
回 |
開催日 |
最高気温 |
時間帯別天気 |
結果 |
第1回 |
2013年6月1日 | 26.0℃ | 9時晴→12時曇→15時曇 |
完走 |
第2回 |
2014年6月1日 | 33.1℃ | 9時晴→12時晴→15時晴 |
35㎞リタイヤ(熱中症) |
第3回 |
2015年6月6日 | 24.6℃ | 9時曇→12時晴→15時曇 |
80㎞リタイヤ(時間制限) |
第4回 |
2016年6月5日 | 23.4℃ | 9時雨→12時曇→15時晴 |
完走 |
第5回 |
2017年6月4日 | 26.7℃ | 9時晴→12時晴→15時晴 |
63㎞リタイヤ(熱中症) |
第6回 |
2018年6月3日 |
28.6℃ |
9時晴→12時晴→15時晴 |
51㎞リタイヤ(熱中症) |
リタイヤした第2回、第5回、第6回は、
すべて気温26℃以上、朝からずっと快晴。
日陰のない土手の上で、ダイレクトに強い陽射しを浴び続け、大量の発汗。
それを補うための過剰な水分摂取、水で膨れた胃袋と暑さで減退する食欲。
十分なエネルギー補給ができず、ガス欠で歩き出し、
まっすぐ歩けない自分に異変を感じ、土手に座り込み、
遥か先まで続く、陽炎ゆらめく土手道を眺めているうちに、
心が折れてリタイヤというパターンの繰り返し。
◆
ここから何を学び、どんな行動をするか。
第7回を気合と根性で乗り切ろうとしたら“ただの愚か者”
私が考えた選択肢は2つ。
1つは、気温が低い時期のウルトラマラソンへの転向。
たとえば、3月の大江戸小江戸、南房総みちくさウルトラマラソン、4月の彩湖とか。
10月の四万十川、11月の南伊豆も候補。
どんなに暑くなっても25℃くらいまでにしかならない季節のレースなら行けそうな気がします。
もう1つは、身の程を知った上で、柴又の完走を目標に走る
今回は、一緒にトレーニングしている仲間に「サブ10を目指す」と大見得を切ってしまったので
6分/kmペースで走りましたが、
これを7分~8分/kmに落とせば、もう少し長く走れそうな気もします。
当日の気温と天気次第では、十分完走もできるでしょう。
来年からは、当社の若者たちも柴又に挑戦するらしい(笑)ので、
タイムではなく、彼らと一緒に完走を目標に走るのも悪くありません。
◆
そして・・・
2つともやってみることにしました。
正直、今年の柴又でリタイヤを決断した時は「転向でいいんじゃないか」と思ったんですが、
このコラムを書きながら、自分のことがよくわかったので、
良くわかった上で、もう一度柴又で完走してみたいという気持ちが沸々と湧いてきてしまいました。
理由は1つ。
家族がゴールで待っていてくれるレースは柴又しかないから。
完走した2度のレースは、
家族がゴール手前で待っていてくれて、
最後は子どもたちが伴走してくれました。
倅と嬢と手をつないで走ったラスト100m、
ゴールした後に4人で撮った写真は私の宝物です。
やっぱり、あの感動は忘れられないし、また味わいたい。
それにウルトラに挑戦したきっかけは、
子どもたちに大人だって努力する、
努力すれば、できなかったことができるようになる
という真実を教えたかったから。
なので、ゴールに家族がいないレースは最初の動機に反します。
それに、リタイヤしたまま転向したら、
子どもたちは「親父は努力せずに逃げた」と思うかもしれません。
なので、2つともやります。
こういう意思決定ができたのも、
リタイヤも含めてウルトラマラソンの歴史を積み重ねてきたからです。
これからもこの歴史は積み重ねていきます。
みなさん、Facebookでの「いいね!」の応援をよろしくお願いします。
最後に。
今年も私の挑戦にたくさんの応援をありがとうございました。
「いいね!」や応援コメントをくれた皆さん、
当日、現地でサポートしてくれたアッシュのみんな、
練習で家を空けても笑顔で受け入れてくれた家族、
皆さん、多謝です!
もちろん企業の人材育成支援も続けていきます!
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