#110
不摂生な人には寛容ではいられない
4月28日付けの日経新聞に、次のような記事が掲載されていた。
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健康管理をしっかりやってきた人も、そうではなく生活習慣病になった人も、
同じ自己負担で治療が受けられる。おかしいのでは?
<中略>
辻教授は公的医療保険制度を「アリとキリギリス」に例える。
病気になるリスクを下げようと努力する人と、病気の原因が不摂生にあったのに
多額の医療費を使う人。
「公平性からみて同じ負担額でいいのか」
病気になっても不摂生を続ける人を変えるのは難しい。時にはペナルティーで
危機意識を持たせては。そんな声も出始めた。
東京・霞が関で、取材班はドキッとする言葉を聞いた。
「健康診断の結果が悪く運動を指導したのに、やっぱり運動しない人の
保険料は上げてもよいのでは」
公的医療保険制度の議論ではない。経済産業省の職員が企業向けの団体保険づくりで
民間保険会社に要請した場面だ。運動したかどうかの努力により掛け金が変わる
仕組みを考えた。
同じ食事と生活でも、病気になる人もならない人もいる。遺伝や貧困などによる
病気もある。努力しても病気になるときはなる。ただ、あなたが不摂生を続ける
ことに財政はいつまでも寛容ではいられない。そんな予兆が社会保障制度の未来
から見えてきた。
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この記事の背景には、40兆円超える膨大な医療費。
その中で、患者が摂生すれば削減できる生活習慣病治療の構成比は3割に達している(12兆円)
従って、この費用を、不摂生な患者に負担させるべきとの主張である。
私は、この記事を読み、会社組織も同じだなと感じた。
・決められた期日通りに、帳票を提出しない社員。(期日順守)
・使用工具を元の場所に戻さない社員。(ルール順守)
・会議に参加しても、発言者の話を聞いていない社員。(傾聴・メモ)
日経の記事の結びにある、
同じ食事と生活でも、病気になる人もならない人もいる。
遺伝や貧困などによる病気もある。努力しても病気になるときはなる。
ただ、あなたが不摂生を続けることに財政はいつまでも寛容ではいられない。
の前半、
同じ食事と生活でも、病気になる人もならない人もいる。遺伝や貧困などによる
病気もある。努力しても病気になるときはなる。
とあるように、会社組織でも、このような類の社員の能力向上課題には、
支援の手を差し伸べ続けることは言うまでもない。
しかし、
「期日を過ぎているから早く帳票を提出してください」と、毎回督促される社員。
「工具の使用を終えたら、速やかに元の場所に戻すように」と、何度も指摘される社員。
「会議や朝礼で話されたことはメモをして、指示内容を実行してください」と、
言われてもしらんぷりの社員。
には、後半部の
あなたが不摂生を続けることに財政はいつまでも寛容ではいられない。
を考えてもらわないとならない。
・帳票の提出が遅れたしわ寄せは、管理部門の仕事の生産性低下に
・工具が元の場所に戻されないがために、次の使用者がその工具を探し回る負担に
・話を聞いていないがために、再びの説明の手間や、抜け漏れに
というようなコスト増大に結びついている。
コスト以上に大きいのは、こういう社員をフォローする関係者(上司・同僚・管理部門)
の精神的負担。
「期日を守ってください」
「ルール通りに行ってください」
「話しを聞いてください」
と、言い続けるのはかなり大変なことで、
にも関わらずサポートしてくれているのは、彼ら・彼女らが寛容だから。
この寛容さに甘え続けるのはいかがなものかと、この記事は、不摂生社員に訴えている。
そんな感想を抱いた次第である。