#17
100キロマラソンに挑戦してみて知った、事実と真実
前回のコラムで書いた「100キロマラソン」にチャレンジした結果を
ご報告させていただきます。
令和元年5月19日「柴又100キロマラソン」が開催されました。
このマラソン大会は、柴又公園~埼玉県~茨城県五霞町までの
50キロを往復するマラソン大会です。
100キロの制限時間が14時間。
随所に関門があり、規定の時間内に通過できないと
その時点でリタイアになってしまいます。
つまり、随所に設置されている関門をクリアしながら
100キロを14時間以内にゴールするというルールです。
私の場合は、80キロの関門が難所になるという想定をしており、
ココを超えられればゴールできる可能性が一気に高まると思っていました。
当日の朝。
今回が初出場だったこともあり、
始発で会場に向かう電車の中では
駅から会場までの行き方やコンビニの場所など、不明点も多くやや不安でした。
その不安が消えたのは金町で電車を乗り換えたときです。
金町行きの電車に乗っていたのは、全員走る格好をしたランナーでした。
駅からの会場までの行き方やコンビ二の場所など全部教えてくれました。
本当に親切な方が多く、助けられました。
無事会場到着後、着替えていると小川から電話が鳴り、合流。
走る前の準備をその場で教えてもらい、準備完了。
この時、人生で初めて乳首に絆創膏を貼りました(笑)。
準備が完了したところで平堀、井口も合流したのがスタートの15分前。
スタートまではソワソワしているだけで時間が経ってしまい、
いつの間にか7時になり、平堀と一緒にスタート。
スタートしてしばらくは快調でした!
初めてのマラソン大会という事もあり非常に楽しかった記憶があります。
実は事前に平堀から完走するための策を授かっていました。
初めは、1キロ7分ペースで50キロまで走る。
残り50キロは1キロ9分かけられるので、
歩き&走りでも13時間30分でゴールできる計算です。
前半は作戦通り7分をキープ。
20キロまではそのペースで順調に走れていましたが
22キロ過ぎ、7分ペースに私がついていけず、1人ペースダウン。
本当の100キロマラソンはここから始まりました。
平堀がいたときは、一緒に走っていることで気が紛れていましたが
1人になった途端に歩きたいという欲求が一気に出てきました。
23キロ地点で小川が沿道から「無理はするな!自分の行けるペースで行け!」と
応援してくれたことが大きな原動力になり、
なんとか自分を制しながら30キロまでは1キロ7分30秒~8分で走りました。
しかし、30キロを過ぎたあたりから足がつってしまい歩いてしまったのです。
すかさずロキソニンを飲みましたが、少し走ってはつる、歩く。走る、つる、歩く。
これを30キロ~40キロ地点まで繰り返し、休めたおかげか40キロ過ぎで少し復活。
40キロ~50キロは1キロ7分30秒~8分ペースに戻せました。
振り返ってみると、
48キロ地点で家族が待っていることを知っていたから
あんなに早く走れたのかもしれません(笑)。
50キロを超えたあたり、ここで私は最大の過ちを犯しました。
関門ごとの残り時間を計算してしまったのです。
今のペースで行くと・・・。80キロの関門を超えられる!ゴールできる!!
この瞬間、本来であればペースが上がるはずなのに、
私の足は止まってしまったのです・・・。
そうです。
これまで50キロ走って、せっかくゴールできる時間を残しておきながら、
疲労していたことで、
そんなにあるのか、80キロまで行けたらいいじゃん
と思ってしまったのです。
ちょっとでもこのような考えを持ってしまったらもうペースは上がりません。
45キロ~50キロ 57分(1キロ12分ペース)
50キロ~55キロ 52分(1キロ10分ペース)
55キロ~60キロ 45分(1キロ9分ペース)
一回だけ上がったのは、家族が待っている62キロ地点に向かっている5キロだけ。
ほとんどの道のりを歩いてしまっていました。
62キロ地点で家族に会って、自分の中で満足してしまいました。
そこからはほとんど走ることなく、歩いていました。
70キロを超えて約72、3キロ地点で寒さに耐えられずリタイア。
結局は80キロの関門までも行けませんでした。
その後、バスで会場まで戻る中、
暗闇を走っているランナーを横目にほっとしている自分がいました。
会場に戻り、小川に合流。
(私の携帯の充電がなくなっていて、
その間小川がいろんなところを必死に探し回ってくれていたことをこの時知りました。
本当に小川のやさしさに感謝です。)
小川と一緒にゴール会場に行き、
ゴールしてくるランナーに「おかえりなさい!」と声援を送りながら
私の中では、リタイアしたことが情けなく、
何でやり切らなかった、自分で諦めて走り切らなかったのだろう
という後悔の念が押し寄せてきました。
そしてゴールした人たちがうらやましく、すごくかっこよく見えました。
ゴール会場で待っていると平堀が13時間30分でゴール。
目の前で有言実行する平堀の姿に感動しました。
次の日の朝、学校に行く前に、息子が「これ!」と言って賞状をくれました。
記録70キロ。よく頑張りました。
という内容です。
素直に嬉しくて、泣きそうでした。
その後も仕事でお客様に70キロを走ったことをご報告すると、
「すごい」とか「立派だよ」というお褒めの言葉をいただきました。
リタイアしてほめられることに違和感を覚えながらも、少し浮かれていました。
そんな状態のときに、オフィスで小川が
「事実と真実の違いがわかるか?」
と、今回の100キロマラソンになぞらえて話をしてくれました。
「今回のマラソン大会で小林が70キロでリタイアしたのが事実。
本来完走できるポテンシャルがあるのに、
練習を怠って参加した結果70キロでリタイアしたのが真実。
この違いがわかるか?」
その時、私の中で褒められるたびに感じていた違和感が一気に無くなりました。
続けて小川が、
「うちの代表平堀は、
“真実から目を背けるな。何が起きているか、何を失うのか、どんな手段を講じているのか。
真実を正面から見つめ、湧き上がる感情を勇気に変えろ。“って言ってんだよ。」
私はその話を聞きながら会社の理念を見返しました。
理念を読んでいる私に小川が微笑みながら一言、「すげー沁みるだろ!」
私は何も返せないくらい、今までで一番、企業理念が沁みました。
「その今、湧き上がっている感情を勇気に変えるんだよ。
確かに70キロ走ったことはすごいよ。これもまた事実。
でも、違うよな。ここから先は自分で答えを出しなよ。
別に100キロにこだわらなくていいから。
自分で挑戦したいことを決めて、準備からやり切ることで仕事にもいい影響が出るから。」
自分の中で答えは出ました。
「やるべきことをやって、これでダメだったのなら仕方ないと思える状態で挑戦したい。」
そのためにも、練習の段階から自分で決めた事をやり切ること。
それは今回のように、何とかなるではなく。
本来はこういう話の結びは、
もう一度100キロマラソンに挑戦します!という目標の話になるのですが、
まだ次回の100キロマラソンに挑戦するかどうかは決められていません。
それくらい自分の中では今回の100キロマラソンは大変な挑戦でした。
すぐに“やります”と言えません。
そこで100キロの代わりとは言えませんが、
今、挑戦したいことは今期営業目標の達成。
そのために準備をして、日々自分で決めた行動をやり切ります。
今回の100キロマラソンは、やり切れない自分の弱さを知り、
自社の理念を身をもって体験することができた非常に貴重な時間でした。
最後に、全20か所のエイドやコースの案内をしてくれたボランティアの方々。
コースの沿道で一生懸命応援してくださった地元の方々。
連絡が取れない私のことを心配して探し回ってくれた小川。
暑い中、40キロと60キロ地点で応援するためにずっとジュースを持って待ってくれていた家族。
沢山の方々の協力があって、大会で走ることができました。
本当にありがとうございます。
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