#10
幼児を持った母親の気持ち
前月号の終りに、“きく”ことについての続編を解説すると予告していたが、今回は「幼児を持った母親の気持ち」についてのコラムになることをお許し願いたい。
実は、夜の9時ごろに電車に乗っていて次のような光景を目の当たりにした。
連結器の境目辺りの椅子の前に、乳母車に幼児を乗せたお母さんが立っていた。乗車している人はそれほど多くはなく大半の人が椅子に座り、立っているのは数名という状況だった。ある瞬間この幼児が泣きだし、お母さんは懸命にあやすのだが、一向に泣きやむ気配がない。抱きかかえたり、外の景色を見せたりするお母さんの努力もかなわず幼児は泣きやまなかった。
今回、私が強調したいのは、この時にお母さんに向けられた周囲の人たちの視線である。言葉では表せないくらい冷たい視線が、そのお母さんに浴びせられていた。幼児をあやすお母さんの周囲にいる人はもちろんのこと、離れた席に座っている人も、さらに、連結器を挟んだ隣の車両に座っている人まで、何とも言えない視線をお母さんに放っていた。
この視線にさらされたお母さんは早く子供を泣きやませようと必死なり、その場に居ても立ってもいられなくなっている様子が痛いほど伝わってきた。
子どもは泣いて育つもの。ましてや、言葉を話せない年齢であれば、泣くこともコミュニケーション手段の一つであると、大人は容認してあげなければならないはずだ。容認というより「元気な子だなぁ」と歓迎するのが本来の姿だろう。
話は大きく飛躍してしまうが、母親が我が子に手をかける不幸な事件が頻発するのは、今回の出来事のように周囲の人がお母さんに冷たい視線を送ることが日常化して、お母さんがそのストレスに耐えきれなくなっていることにも一因があるのではと考えてしまった。
このことを先日、障害のある子供を持ったご両親に話したのだが「平堀さんの分析は当たっていると思います」と言っていた。「障害児を持ったお母さんを支援することを目的として、障害者相談員が色々とアドバイスをしてくれるのですが、その相談員から発せられる言葉は『お母さんが甘やかすからお子さんが自立できないのです』の一点張りで、どうしていいか分からずに、さらに悩んでしまうことが多々ありました」と実体験を話してくれた。 何かに困っている人は世の中にたくさんいるはずだし、我々はそのような人に出会うことが度々ある。その時に、困っていることを直接的には解決してあげられなくても、少なくとも暖かな視線を送ることはできるはずだ。ましてや、相手が子どもであれば母性本能や父性本能が働き、誰もが自然に優しい気持ちになれると思うのだが、そうではない現実がある。
お母さんが子どもを育てるのが楽しいと思える環境が奪われたら、子孫を育む力が失われ国が滅びるのは必然だろう。
私にはこれといった処方箋は描けないが、子どもを見かけたら、子どものつぶらな瞳に目を向けるのが第一歩のような気がする。それは、子どもの純粋な瞳を見れば言葉に表せない情愛がこみ上げて来るのが人間だと信じているからだ。時には携帯電話やパソコンから離れて、子どもの何気ない仕草に目をやってみることから始めよう。
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