#52
誕生日はなんの日ですか?
誕生日は、なんの日でしょうか?
セミナーでも、研修でも、ケーススタディーでも、
我々は、この答えを、繰り返し、
“生み育てていただいた、両親に感謝する日”と訴え、
多くのみなさんに、賛同していただいています。
私が、この考えを知り、自分の誕生日の日に、両親に感謝を示したのは、
今から、10年ほど前になります。
子どもたちは、10歳前後で、私も40歳そこそこの年齢でした。
感謝を示した場所は、近所の中華屋さん。
私の誕生日祝にと、家族が予約してくれたお店でした。
そこで、おもむろに席を立ち、子どもたちの前で、
「お父さん、お母さん、私を産んでいただき、ありがとうございます」
と、感謝の気持ちを言葉にしたのを、今でも、鮮明に覚えています。
些細なことなのですが、結構、勇気がいりました。
先月は、私の51回目の誕生日でした。
実は、この時に、「誕生日はなんの日ですか?」の問いに、
新たな答えが、浮かびました。
それは、「義理の母に感謝する日で」した。
義母は、近くに住んでいるので、家族の誕生会には、必ず出席してもらっています。
誕生会は、家族から祝福される、最高に楽しい日です。
かけがえのない家族に恵まれ、幸せな人生を過ごせているのは、
生涯のパートナー(家内)と出会い、結ばれたお陰です。
「誕生日はなんの日?」の質問の定義に正確に答えようとすれば、
家内の誕生日の日に、
「お義母さん、かおるさんを生み育てていただき、ありがとう」
となるのでしょうが、この日は、家内が母に感謝を述べる日。
私が出しゃばるわけにはいきません。
こんなことに考えを巡らせ、先月の私の誕生日に、
「お義母さん、かおるさんと結婚させてくれてありがとうございます」と
感謝を伝えたのでした。
この歳になれば一丁前のこともわかり、それなりに、責任も果たしていますが、
結婚した時は、26歳。
生意気盛りで、何もできていない青二才。
そんなどこの馬の骨ともわからない若造に、娘との結婚を許してくれた。
このことを今更ながら、有難いと思えたのです。
こんな気持ちがわいたのは、自分が、社会人として熟成してきたというより、
義母の体つきが、年々小さくなっていく姿を目の当たりにしているからだと思います。
義母は、亡き父と同じ歳。昭和5年生まれで、満82歳になりました。
子どの成長も早いですが、老いを感じ出すと、こちらも早い。
義母には、
「かおるさんは、お義母さんを頼りにしていて、未だに、ママと呼んで、甘えています。だから、娘のためにも、いつまでの健康で元気でいてください」と頼んでいます。
4月末に我々夫婦が都内ウォークに出かけると、我が娘が、義母を自宅に招き、母も交えて女三人で、夕食会を催してくれました。
娘に、「二人のお祖母さんと食事会を開くなんて、凄いね!」と労うと、
娘は、「だって、お婆ちゃんに刺激を与えないと、どんどん老けちゃうじゃない」と、
まるで、私が、二人の面倒を見るからという勢いで答えてくれました。
こんな娘の言動に触れると、
「誕生日はなんの日?」の問いに、
「我々、夫婦の子どもとして産まれてくれたことに感謝する日」と
答えたくなります。
要するに、誕生日は、お互いに感謝を示す日なのですね。
今月は、母の喜寿の祝いです。
みんなが健康で、うまいもの食べて、大酒食らって、大笑い。
そんな時間を過ごせることに感謝して、母にありがとうの手紙を家族みんなで書き、プレゼントします。