株式会社アッシュ・マネジメント・コンサルティング

代表取締役パートナー平堀剛のブログ

Hot Willerへのエール

Hot Willerとは「独自の志を持ち、その実現に向けた活動を
実直に続けている人」を表す当社の造語です。そういう方々に向けた
応援メッセージを贈りたいという想いで毎月書いています。

#67

変化に抗うことも!

2013年8月2日

ゲリラ豪雨。

経験したことのない大雨。

今年の夏は、こんな気象庁からの警報が、毎日のように出されています。

原因は、地球温暖化なのでしょうか。

あまりの暑さに、熱中症で倒れる人も跡を絶ちません。

一応、行動派と自称している私も、この暑さにはうんざりし、

たまの休日に、クーラーの効いた自宅で、ごろ寝でもして一日過ごそう、

なんて思ってしまうほどです。

これではいけないと、しばらく乗っていないクロスバイクを担ぎ出し、

この間の休みに、あえて炎天下の中、近場へサイクリングに出かけました。

 

行く先もこれといって浮かばなかったので、多摩川の最下流の羽田へ行き、

堤防でごろ寝をしながら、飛行機の離着陸を見ようと、進路を東へ向けました。

飛行場の上の空を見ていると、「お見事!」と拍手したくなるほど、規則的に

飛行機が舞い降り、そして、飛び立っていきます。

私は、この様子を見ると、妙に気持ちが落ち着くので、

年に数回は、羽田空港の付近にサイクリングに出かけています。

 

今回は、羽田に行く前に、自分が生まれ育った東蒲田の地域を巡ってみようと、

なんとはなく、思いつきました。

あまり、この情報は流したくないのですが、大田区では、幹線道路と線路を境目として、

住んでいる人たちの品格が区分されています。

第1エリアは、産業道路より東側(羽田よりの東京湾)の地域

第2エリアは、産業道路と第一京浜国道の間の地域

第3エリアは、第一京浜国道とJR京浜東北線の間の地域

第4エリアは、JR京浜東北線と第二京浜国道の間の地域

第5エリアは、第二京浜国道と中原街道の間の地域

第6エリアは、中原街道より西側の地域

第6エリアの住所は、田園調布。

となると、住んでいる人の品格は、第1エリアからだんだんに高まると言われていると、

みなさんにも察しがつくでしょう

私は、第2エリアの出身。

生まれ育った地元に愛着と誇りを持っていますし、

漁師町の羽田も大好きなので、この品格区分を認めていないのですが、

ある時、英語の個人レッスンを受けていたイギリス人に、このことを指摘されました。

彼は、非常勤の英語の講師として、大田区内の複数の中学校に勤めていました。

そして、こう言いました。

「平堀さん、学校が東側に行くほど、授業をきちんと受けない生徒が増えるんですよ」と。

そして、先ほどのエリア区分の話になり、彼は、まったくその通りの傾向があると、

大きく頷き、同意したのでした。

その後、私が第2エリアの中学校を卒業したことを彼に伝えて、大爆笑。

こんなたわいもない笑い話を思い出しながら、東へ東へと、自転車をこぎ続けました。

 

出身中学校が近づくにつれ、同級生たちの顔が思い浮かびました。

「○○の家はここだったよな」

「△△はここ」

という感じで、同級生の自宅だったと思われる前を通過。

自宅の前をなんとはなく通れるのは、友だちの大半の実家が、

商売をしていたからです。

豆腐屋さんや、乾物屋。

定食屋に、スナック。

銭湯を営んでいた家もありましたし、

美容室や寿司屋、そして、鶏肉専門店。

まるで、『ALWAYS 三丁目の夕日』の映画の中に入ったような感覚になりました。

いい時代でしたね。

当時、友だちの家にいくと、店にあるものをおやつ替わりに出してくれたものです。

ですから、寿司屋の友だちの家の行くのが楽しみで。

鶏肉専門店の友だちは、部活も一緒で、気立てのいいお袋さんだったので、

焼き鳥を買いに行くと、必ず、一本おまけしてくれました。

 

でも、これは、今となっては、はるかに遠い過去の想い出。

それは、すべてのお店が、ものの見事になくなっていたからです。

 

私の生まれ育った地域が、京浜工業地帯の下町だったからかもしれませんが、

大半の友だちのご両親は、自営で仕事をしていました。

お店以外でも、町工場やダンボール製作所というように。

 

自営のお店や工場が、ことごとくなくなってしまったのです。

なんとはなく、羽田に向かったサイクリングで、この厳しい現実を、

あらためて認識させられました。

地元の友だちのご両親は、みんな商売にまじめで、一生懸命に汗を流していたのに。

母校の中学校から自宅へ向かうと、

何人もの人に、「こんにちは」と挨拶を交わした街だったのに。

私の想い出の店や工場は、なくなってしまいました。

 

こんな、何とも言えない思いに浸っている自分に気づき我に返ると、

空模様が怪しくなってきていました。

私は、一介のコンサルタントとして、支援先の社長やマネジャーに、

「経営とは環境に適応させて行うものである」

とのセオリーを、事あるごとに伝えています。

しかし、以前はなかったゲリラ豪雨や経験したことのない大雨を、

何故か、素直に受け入れたくない。

そんな衝動に駆られました。

気候変動は、一人の力ではなんともなりませんが、みんなで立ち向かえば、

温暖化を止められるかもしれない。

心のたかすみで、こう思っているからでしょう。

 

寂れてしまった商店街も、一人だけの努力ではなく、みんなが力を結集させれば、

商業施設に対抗できたかもしれない。

 

変化する環境に適応していくことも必要ですが、

環境変化を食い止める。

そんな抵抗も大切なのではと、

厚い雲におおわれた空を見て、睨みつけてしまいました。

 

ゲリラ豪雨で、長年住んできた家を失った方に、

「気候が変動したのでしょうがないですよね」

なんていう言葉は、とてもではないですが、言えません。

 

みんなで力を合わせれば、

変えられる。

食い止められる。

そんな社会事象に目を向けて、抗って生きてもいかなければと、

猛暑よりも熱く、私の心の温度が高まっていました。

 

一人ひとりの努力を個別にとどめるのではなく、全体の力に結集させる。

そうしなければ解決できない。

いや、

そうすれば解決できる問題が、たくさんあります。

 

7月22日にJR南浦和駅で、女性が電車とホームの間に挟まれる事故が発生しました。

そして、すぐさま、40人以上の乗客が力を合わせて、何十トンもある車両を傾けて、

この女性を救出したとのニュースが、全世界で話題になったそうです。

「これは、日本人だからこそできたことだ」と。

 

記録的な猛暑が、我々に、「何に立ち向かいますか」と問いかけている。

そんな気にさせられました。

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代表取締役パートナー

平堀 剛

Hirabori Tsuyoshi

平堀 剛

1961年生まれ。東京都出身。

経歴

大学卒業後、電機メーカーに就職。先端技術の開発に汗を流すエンジニアを目の当たりにし、自分も何かをしたいと一念発起。学生時代からの夢、事業家(経営のプロ)を志しコンサルティング会社に転職。数多くの業界の経営実務に携わり上場(マザーズ)も経験した後に、小川とともに当社を起業。

コンサルティング・ポリシー

『本当の楽しみは、苦しみを乗り越えた者のみが味わえる』

支援実績(得意分野)

  • ◆目標達成に執着する管理者の養成
  • ◆顧客を愛顧客にする営業パーソンの育成
  • ◆中途・新卒社員の早期戦力化支援
  • ◆社員定着率の圧倒的な改善

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