#79
“仰げば尊し、わが師の恩”
先日、26年ぶりに、小学校時代の恩師に再会しました。
再会の縁を結んでくれたのは、我が娘。
娘は、東京都の小学校の特別養護学級の先生になり2年目。
この期間に、同じく特別養護学級の先生をしている私の恩師の娘さんと、
私の娘が出会ったのでした。
お互いの娘同志が意気投合し、
“パパ、ママ会”をしようと食事会を企画してくれ、
私は、恩師に再会できました。
この会には、恩師と恩師の娘さん、私と私の娘、
そしてなぜか私の息子も参加。
小学生時代の私はこまっしゃくれていたので、
我が子の前で、恩師からどんな話が飛び出すのだろうかと、
少々ドキマキしていました
恩師からは、
「平(ひら)とは廊下で格闘して、ストッキングが破れたこともあったわね」
と、案の定の第一声から、昔話が始まりました。
恩師は、話を続けます。
「どうやったらみんなが授業に関心を持ってくれるか、
毎日ワクワクしながら準備をしたわ」
「子どもたちは、時に、きらっと光った一言を発するのよね。
この言葉は。その子を伸ばす宝だから、必死にメモしたものよ」
「通信簿の点数では、子どものことを本当の意味で評価できないの。
だから、学校生活で現れた、きらっとした出来事を、備考欄に書いたの」
「今では許されないけど。通信簿や、その他の書類を持ち歩いて、
電車の中でも資料をまとめたりしていた。だから、いつも大きな袋を抱えていたの。
重かったけど、ぜんぜん苦にならなかった」
「私が結婚するってみんなに報告すると、
平(ひら)を筆頭にして『先生は僕たちの先生だから、誰にも渡さない』って
言い出して、バリケード組んだりしてくれたのよね」
「あの時のクラスの子たちは、凄かった。
私の目を見ただけで、何を言いたいのかを感じ取って、動いたんだから」
聞けば聞くほど、
“仰げば尊し、わが師の恩♪”
の思いがあふれだします。
恩師とは、3時間半ほど話しました。
この間に、私の今のことは、一度も尋ねられませんでした。
でも、「こんなに立派になって」と何回も言ってくれました。
私を立派になったと評してくれた根拠は、私の子ども。
まだ、社会人としてやっと歩きだしたばかりの私の子どもたちとも、
恩師は、自分の教え子のように接し、たくさんの話をしてくれました。
そして、
「あなたは、自分の意志で、特別養護学級の先生を選んだんでしょう」
「そして、あなたも自分の意志で大学を中退して家具職人の道に進んだんでしょう」
と称え、
「こんなに素晴らしい子どもを平(ひら)は育てたんだから、立派よ」
と、「あなたを育てたのは、私なのだから、当然よね」と言わんばかりの笑顔で、
恩師は、私を褒めてくれました。
小学校を卒業して40年以上が過ぎても、恩師の温かい教えは、私の心の中に
宿り続けています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の恩師が、私にどのような思いを込めて育ててくれたのかは、
私のコンサルタントコラムNO.58(2012年11月1日:かわいい子には旅をさせよ)
http://www.h-mbo.com/pastcolumn_hirabori/no-59-2012-11-1/
に記載済みです。
このコラムには、我が娘が特別養護学級の先生を選択した過程も書かれていて、
まるで、私の担任との出会いを予言したかのような内容になっています。
このコラムをコピーして、恩師にプレゼントしたのは、言うまでもありません。
※下記サイトもご覧ください。
++++++++++++++++++++++++++++
●社員のストレスに向き合う力を養うならコレ!!
>>>レジリエンス研修専門サイト(おそらく日本初!!)
●業務をDX化するヒントがここにある!!
>>>マネジメントDXサイト
●動画・静止画をフル活用した伝わるマニュアルの情報が満載!!
>>>TeachmeBizサイト
●動画マニュアル作成の苦労から解放されたい!!
>>>動画マニュアル作成代行らくらくパック(おそらく業界最安値!!!)
●抜群に美味しい置き型100円社食サービス
>>>ESキッチン
●持続可能な社員食堂を目指す、置き型100円社食サービス
>>>ESキッチン 製造業専門サイト