#105
「無茶ぶりの平堀」と呼んでいる皆様へ
先日、立て続けに、次のようなコメントを経営者からいただきました。
「平堀さんに、内の○○を柴又100kmウルトラマラソンや、24時間リレーマラソンに誘って
いただいたお蔭で、彼は、一皮むけました」
とか、
「当社の△△は、平堀さんと長い間早朝ジョグをともにさせてもらったことで、リーダーとしての
心構えが出来上がりました」
という内容でした。
このようなご報告をいただき、誠に嬉しかったのですが、
私の関係の近い人たちからは、「無茶ぶりの平堀」と呼ばれているようなので、今回のコラムでは、
この汚名を払拭させていただきます。(笑)
私には、これまで「無茶なこと」をお勧めしたり、提案したとの自覚はまったくありません。
そもそも、向いていない仕事や競技に取り組むことほど辛いことはないと心得ていますので、私からすると
「やれば出来るのに、ある固定観念に縛られて、やらないのはもったいない」との確信を持てた場合に、
種々のお勧めしています。
ですから、「無茶ぶり」ではなく、「“やればできるでしょう”ぶり」なのです。
人は、よく、「やればできること」に対して、「できない」という表現を使います。
例えば、
「先日の会議で、はじめて名刺交換をしたお客さまには、すぐにお礼状を出すと決めましたが、
実施状況はいかがですか?」
と確認するケースでは、
「すいません。年末で業務が立て込んでいたので、“できません”でした」
との答えが返ってくることがあります。
ところが、これは正しい解答ではありません。
正しくは、
「年末で業務が立て込んでいたので、“やりません”でした」
になります。
「できない」と「やらない」の使い分けを正確にする。
これは、自己啓発をしていく上で、この上なく重要なことです。
「できない」ことは、そう簡単にできるようになりませんから、実行に移すのは困難極まりないのですが、
「やらない」ことであれば、自分の意思で「やる」と決めれば、すぐに実行できるからです。
みなさん、いかがでしょうか、
「やればできるのにやっていないこと」を「できませんでした」と表現することはないでしょうか?
我々のコンサルティングのスタンスは、実にシンプルで、
「やればできることは、やりましょう」と促す。
この一点に集中しています。
整理整頓も、報連相も、日報の提出も、5分前行動も、笑顔の挨拶も、
全て、「やればできること」です。
これらを「できない」と誤魔化さずに、「やればできるのにやらない」自分と向き合ってみる。
そうすると、くだらない言い訳に汚染されている自身の頭の中が見えてきます。
やると決めたのだから、ただやればいいだけなのに、
「忙しいからできない」
「やってもムダ」
「他にやることがある」
「こんど、やればいいや」
という、うじうじした言い訳をしている自分に気がつきます。
言い訳ならまだしも、もっと良くないのは、
「自分は、決めたこともできないダメな人間だ」
と、自分を責めてしまうケースです。
自分を卑下しても落ち込むだけで、何も得られません。
ですので、やればできることは、原因分析などせずに、「やってみる」ことをお勧めします。
やろうと決めたことを実行に移すと、気分が晴れてきます。
そうすると、「やる(実行)量」が増えてきます。
「やる(実行)量」が増えてくると、一定の成果が表れます。
すると、ますます、気分が乗ってきます。
私は、こういう流れを生み出そうと、色んな角度からアドバイスをさせていただいています。
ですから、「無茶ぶり」ではなく、「“やればできるでしょう”ぶり」をしているのです。
「無茶ぶりの平堀」と呼んでいる皆様方、ご納得いただけましたでしょうか。(爆笑)