#117
答えは自分で見つけよ
あるクライアントの社長から、
「平堀さんは、『こうしなさい』という投げかけを、決してしないですよね。だから、どうしたらいいか迷っている時なんかは、答えを教えて欲しい、そんな思いにかられるんですよね」
と、激白されたことがあります。
こういう場合、私は、笑顔で
「人から教えてもらったことをそのままやって、本当に成果が出ると思いますか?」
と、切り返します。
例えば、製造メーカーの場合。
この会社の特殊技術を使い、ある商品を開発する。
この商品をWEBを活用したプルマーケティングを仕掛けて拡販していく。
こんなことを、このメーカーが丸投げして、我々のような外部機関に発案させたとします。
結果、このメーカーは、目標を達成させることができるでしょうか。
恐らく、高い確率で未達成に終わります。
それは、何故か。
戦略実行の陣頭指揮を取るのは、社長であり、幹部社員。
彼らは、選択した戦略の根本を、100%理解しているわけではないからです。
根本から理解しているのは、発案者。
あくまでも、外部の人間です。
ですから、戦略の解釈が微妙にずれて、似て非なる展開になってしまうものなのです。
ようするに、意志決定を他人に委ねても、成果は出ないのです。
たとえ成果が出たとしても、これは、人の褌で相撲をとったのと同じ。
このようなことを繰り返していれば、結局、依存体質が染みついてしまいます。
これでは、経営能力が高まるはずもありません。
なので私は、クライアンが、このような依存体質になるのを嫌い、戦略は自ら考えよと突き放しているのです。
(補足:種々の示唆はしますが、最後は自分で決めるよと迫る。この表現の方が妥当かも知れません。)
ここまで、書き進めると、
「だったら、なぜ、専門家が存在しているのですか?」
という問いが浮かびます。
確かに、会計、情報システム、マーケティング、生産管理、商品開発などなど、あらゆる分野に専門家は存在しています。
そして、彼らは、それぞれの分野を肩代わりして、業務を遂行します。
これらがなぜ成立しているのかというとそれは、その会社が営むサービスの中枢機能ではないから。
中枢機能をアウトソーサーに任せるのなら、実質的にこの事業はアウトソーサーが運営しているのですから、この仕事を依頼した企業の存在価値は、ゼロになってしまいます。
経営や仕事だけではなく、人生の重要な選択を迫られる時、
それは、自らの意志で決定しなければならない。
これは、ある意味、不文律のようなもの。(だと、私は、確信しています。)
企業経営者に問われる問いとして、
企業理念は?
経営戦略は?
事業の統廃合は?
投資の有無は?
社会人になると問われる問いは、
就職先は?
結婚相手選びは?
子どもの名前は?
子どもの教育は?
これらの質問の答えになる根本は、
こんな自分でありたい!
こんな生き方を貫きたい!
という、人生を歩む指針にあります。
この指針を定めないまま日常生活をしている人は、意外に多い。
指針は、自分で作るしかないのですが、指針を作るコツがあるとすれば、それは、
自分の良心に問いかけることではないでしょうか。
2017年も残すところわずか。
あと数十日で、2018年を迎えます。
一年の計は元旦にあり。
という格言に習い、どんな1年を過ごすのか、じっくり考えてみましょう。
「一年の計は元旦にあり」とは、何事も最初が肝心であるということを意図したといいます。
そして、次のような逸話があるようです。
元日の朝、毛利元就の家臣が、祝いの膳を食べるように毛利元就に促したところ、
毛利元就は、黙って席を立って去ってしまい、しばらくしてその後、家臣を呼び出し
「なぜ元旦を祝うか?」
とたずねました。
そして、答えられない家臣に向かって、毛利元就は、こう答えました。
「世の愚か者どもは、恵方を拝んで、とそを飲み、長寿・子孫繁栄を祝って浮かれているが、
元旦はそんな暢気(のんき)なものではなく、年の初めに一年の事をじっくり考える。
それが本当の祝いというものである」
いかがでしょうか。
私には、どんな自分でありたいのかという指針を持てないという人に向かって、
「暢気もいい加減にしろ」
と、叱咤激励しているように感じられます。