#118
「年神様」は子どもたち
年末年始の風物詩は?
と問われると、みなさんは、何を思い浮かべますか。
師走になると、お歳暮、忘年会、大売出し、クリスマス、年賀状、大掃除、餅つき、紅白歌合戦、下り渋滞
年始は、親族の集まり、門松、初詣、箱根駅伝、お年玉、お雑煮、お節、お屠蘇、上り渋滞、成人式
かなり以前から、年末になっても、
「年の瀬という感じがしませんね」
「良いお年をというのが、何か変な感じがしますね」
という会話をすることが増え、日本の風景が変わりつつあると感じている人は多いのではないでしょうか。
時代とともに、文化も風習も変わる。
これは、必然なのですが、私が変えたくないのは、
親族の集まり。
年の始まりに親族が集まり、みんなでワイワイガヤガヤする。
私の親世代は兄弟姉妹が多かったので、大勢の親戚が実家に集まりにぎやかでした。
この時の楽しみは、お年玉。
物心がつく年ごろになると、母は私にこんな愚痴をこぼしていたのを思い出します。
「お年玉は、もらう子は嬉しいかもしれないけど、あげる方は大変なのよ」
ところで、お年玉の由来を確かめてみると、
一連のお正月行事というのは、新年の神様である「年神様」を家に迎えて・もてなし・見送るための行事で、
年神様は、新しい年の幸福や恵みとともに、私たちに魂を分けてくださると考えられてきました。
毎年魂を分けていただくということは、その数を数えれば年齢になります。
そこで、誕生時には魂があるから生まれたときは1歳と考え、その後は元旦がくるたびにみんな一斉に年をとる「数え年」だったわけです。
では、どうやって年神様から魂を分けていただくのでしょう?
鏡餅は年神様の依り代なので、家にいらした年神様は鏡餅に依りつきます。
すると、鏡餅には年神様の「御魂」(みたま)が宿ります。
この鏡餅の餅玉が、年神様の御魂であり、その年の魂となる「年魂」です。
そして、年魂をあらわす餅玉を、家長が家族に「御年魂」「御年玉」として分け与えました。
これがお年玉のルーツ! 玉には魂という意味があります。
と、All about(https://allabout.co.jp/gm/gc/404101/)に解説されています。
お年玉は、年魂が起源で、「年神様」から、1年分の魂を分けてもらっていたのですね。
このような由来を知ると、お年玉をあげる気分も変わります。
お年玉は、魂を分け与えるのですから、
親から子へ、命を繋いでくれよとの願いが込められている。
こう解釈もできます。
命のバトンのリレーが途絶えると、その種は絶滅してしまいます。
なので、そうならないように、君たちも元気に生きて、次の世代に命を繋いでくれよ。
お年玉には、こんな思いが、代々と受け継がれているのでしょう。
(母にこんな話をしたら「当時は、そんな綺麗ごとを言っている余裕はなかったわよ」と、言われそうですが)
私は、最近つくづく思うのです。
子は宝
だと。
毎年恒例となった当家での新年会写真をご覧ください。
みんないい顔をしています。
それは、たくさんの子どもたちに囲まれているから。
子どもたちがいるだけで、我々は笑顔になれます。
子どもたちの笑顔があれば、我々は集まった甲斐を感じます。
たとえ子どもが泣いても、我々の笑顔は消えません。
何故か?
子は宝
だから。
ひょっとすると、「年神様」は、子どもたちなのかもしれません。
そして、お年魂は、子どもたちの笑顔なのかもしれません。
子どもたちから我々大人たちに、今年も元気な一年になるようにと、笑顔のお年魂をもらい、活力を得ている。
こう考えると、
お年玉は、お年魂の笑顔を「年神様」から引き出すために、子どもたちに渡しているということになります。
正月の集いとお年玉を守る会会長、平堀剛より、2018年のご多幸を祈念して。