#142
「いいね」じゃないことを「いいね」に
今から、19年前の2001年に
『世界がもし100人の村だったら』
という本がベストセラーになった。
世界をひとつの村に例え、
男女、人種、言語、宗教、言論の自由、紛争、貧富、教育レベル
などについての比率をそのままにして、人口を100人として表した本。
この本には、
“20人は栄養がじゅうぶんではなく
1人は死にそうになるほどです。
でも15人は太りすぎです。すべての富のうち
6人が59%をもっていて
みんなアメリカ合衆国の人です。74人が39%を
20人が、たったの2%を
分けあっています。村人のうち
1人が大学のコンピューターをもっています。
けれど、14人は文字が読めません。”
というように記載されている。
2020年は、オリンピックイヤー。
2019年のラグビーワールドカップの盛り上がりを超える熱狂を、
日本から世界に発信していこうと、わくわくする気持ちでいっぱいな中、
なぜか、私の心の中に、19年も前のベストセラーの
『世界がもし100人の村だったら』
が、浮かんだ。
この兆候は、昨年の初め頃から出ていたような気がする。
その根拠は、フェイスブック。
知人が、まさに今行っていることがダイレクトにアップされ、
「いいね」
ボタンを押して、相互交流をはかる。
とても便利なツール。
知り合いかも
リストに懐かしい人の名前が掲載され、
これがきっかけとなり、交流を再開できる。
とてもありがたいツール。
私にとってもなくてはならないモノになっているのだが、
「いいね」を押したり、押されたりしているうちに、
「いいね」じゃないことも、世の中にはたくさんあふれているんだけどな、
という思いが「ふっ」と脳裏に浮かび、
フェイスブックへの投稿が、自ずと減っていった。
ここで誤解していただきたくないのだが、
私は、フェイスブックというツールや活用している人に
ダメ出しをしようと考えているのではない。
先にも記した通り、フェイスブックはとてもいいツールで、
なくてはならないものだと認めている。
だからこそ、ある意味、フェイスブックの「いいね」の交流のお陰で、
「いいね」じゃないことも世の中にはたくさんあるのになという思いを、
自分が抱けたのだと言いたいのだ。
例えば、今私が気になっている、「いいね」じゃないことは、
親としての適性に著しく欠けた親に育てられている子どもについて。
ただし、この実例の詳細は書けない。
それは、「いいね」じゃないことではないので、
もしかしたら、この内容から関連する人に、迷惑をかけてしまいかねないから。
このように、「いいね」じゃないことは、話題にしづらい。
だから、「いいね」じゃないことは、表に出にくい。
表に出ないから、この問題の解決が進まない。
でも、「いいね」じゃない事実を目にして、その解決に立ち向かう人がいる。
そして、この人は、「いいね」じゃないを「いいね」にしてしまう。
こんなスケールの社会貢献を、我々アッシュはやってみたい。
このような思いを込めて、2020年の正月に
「夢一直線」
と、書初めした。
以下にウォルト・ディズニーの言葉を示して、コラムを結ぶ。
“夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。
いつだって忘れないでほしい。
すべて一匹のねずみから始まったということを。”
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