株式会社アッシュ・マネジメント・コンサルティング

代表取締役パートナー平堀剛のブログ

Hot Willerへのエール

Hot Willerとは「独自の志を持ち、その実現に向けた活動を
実直に続けている人」を表す当社の造語です。そういう方々に向けた
応援メッセージを贈りたいという想いで毎月書いています。

#160

常識が覆るには

2021年7月28日

みなさんは、最近の出来事で、
これまで当たり前と考えていた事が覆ったことはありますか。

私は、なんといっても、米国メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手の「二刀流」。

プロ野球に入団する選手は運動神経に恵まれているので、
高校生まではエースで4番だった人が多いのですが、
プロのレベルで活躍するには、投手か打者のいずれかに専念するというのが、
これまでの常識でした。

大谷選手は、日本だけではなく米国球界でも「二刀流」の実績を残し、
我々ファンだけではなく、プレイヤーにも、大きな衝撃を与えています。

大谷選手の活躍を目の当たりしたことで、
これからは、プロでも「二刀流」を目指す人たちが増えるでしょう。
このように常識とは、あることをきっかけにして覆るものです。

今回は、大谷選手が「二刀流」という常識外れのポジションを得るまでの足跡を、
Youtubeに掲載されている
「大谷翔平の来た道~二刀流の現在・過去・未来~」
https://www.youtube.com/watch?v=pCXOm4_jmro&t=321s
の動画より、まとめてみました。

以下のダイジェストから、常識破りの「二刀流」は、
大谷選手一人の力では成し遂げられなかったことを確認できます。
大谷選手が目標とした「二刀流」実現のためにかかわった人の
心情が浮き彫りになっていますので、
人材育成を主業務にしているマネジャーや経営者のみなさんには、
ご一読いただきたい内容です。

 

・大谷選手が、花巻東高校に入学して得たこと

大谷選手は、岩手県の花巻東高校に入学。
花巻東高校の3年先輩に、西武球団からマリナーズに入団した菊池雄星投手がいます。
菊池雄星選手を育てた佐々木監督との出会いが、この後の大谷選手の運命に影響を与えました。

佐々木監督は、大谷選手の投手としてのずば抜けた素質を見抜き、
体を鍛えれば高校生として最速の「160㎞」の球を投げられると大谷に断言。
大谷選手は、当初、このことにピンとこなかったようですが、
「監督が、そういうのならできるのだろう」という感覚で、
基礎体力の強化トレーニングに励み、この目標を実現しました。

佐々木監督は部員指導の一環として、偉人が残した言葉を伝えています。
例えば、

壁というのは、できる人にしかやってこない。
超えられる可能性がある人にしかやってこない。
だから、壁がある時はチャンスだと思っている。

という、イチローの言葉。

世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。
ひたすら進め。

という、ニーチェの言葉。

佐々木監督は、これらの言葉を印刷して、合宿所の壁に貼っています。
ちなみに、大谷選手が憶えている言葉は、
「先入観が可能を不可能にする」だそうです。

大谷選手は、
「その当時はわからなくても、あとからなるほどと思える言葉はたくさんあると思う」
と、語っているので、
佐々木監督が目指している言葉の教育に、一定の成果は上がっているのでしょう。

 

・大谷選手が、花巻東高校で残した実績

甲子園には2度出場していますが、際立った成績は残せていません。
2012年春の選抜大会で大阪桐蔭の藤波投手と対戦するも、
大谷投手が撃ち込まれ、初戦で敗退しています。
この敗戦で、最後の大会となる夏は日本一になると大谷選手は決意しますが、
岩手県予選の決勝戦で敗退し、目標は実現できませんでした。

佐々木監督は、
「大谷の育成について、ボールは速いピッチャーにすることはできたけど、
勝てるピッチャーにはできなかった」と述懐し、
「ただ、負けもあって、大谷は人間的には相当鍛えられた」と結んでいます。

 

・「二刀流」の運命を決めるドラフト

大谷選手は、高校1年生の時から、メジャーのスカウトにも注目されていて、
高校卒業後にメジャー入りすることも再三勧められていました。

大谷選手は、メジャーで活躍するイチロー選手や松井秀喜選手への憧れもあり、
また、プロで野球をするならてっぺんを目指したいとの思いもあったため、
ドラフト会議の前にメジャーに挑戦する意思を表明していました。

こんな中、ほとんどの日本の球団は大谷選手の日本球界入りを諦めていましたが、
北海道日本ハムファイターズだけが、大谷選手を1位指名しました。

日本ハムのスカウトは大谷選手と事前に面談し、
メジャーにいく意思が固いことは確認していたのですが、
それでも、1位指名を決断したのでした。

この時の思いを、日本ハムのGMの山田氏が次のように語っています。

「ドラフトとは、獲れる選手を獲るということではなくて、
球団として何としても獲りたい選手を獲る」

メジャーにいく意思が固いとわかっていて1位指名し、
もし入団してもらえなかったら、GMの席は降りるとの覚悟を持っての決断だったように
感じられるコメントでした。

1位に指名された後の記者会見で、大谷選手は、
「指名していただけたことはうれしいが、メジャーに行く気持ちは変わらない」
と語っているので、大谷選手の入団は、そうとう難しい状況でした。

 

・大谷選手をメジャーに推す存在

花巻東高校の佐々木監督とご両親は、本人の意思を尊重することを大前提としながらも、
メジャーにいくリスクやメリットを慎重にはかりながら、何回も話し合ったようです。
特に、佐々木監督は、大谷選手の意思を重んじる考えを強く持っていました。
それは、菊池選手のドラフト交渉の体験によるものでした。

菊池選手も、大谷選手と同様に高校卒業後にメジャー入りを目指していました。
この時も佐々木監督と親御さんとで、菊池選手の進路について話し合いました。
そして、導き出された結論は、日本の球団への入団でした。

菊池選手は、記者会見の場で、
「監督さんと両親と話し合った結果、日本でプレイさせていただきたい」
と結論を述べたのですが、その後、菊池選手は涙を流しました。

佐々木監督は、
「この時の自分は、高校生がいきなりアメリカに行くという実例がなかったので、
自分自身の心配事で、雄星の進路を止めてしまったのではないかと、
記者会見の時に流した雄星の涙を見て反省した。
なので、大谷の時は、私の都合で止めることだけは絶対にしたくないと思っていた」
と、本心を開示しています。

このような経緯もあるため、佐々木監督には、
大谷選手本人の意思を尊重したいという思いが強くあり、
メジャー入りを選択する流れが、周囲からも出来上がっていました。

 

・大谷選手の心を動かしたのは

ドラフト指名後に、大谷選手と面談した大渕スカウトは、
大谷選手の

・ただメジャーリーグに入るのではなくて、メジャーリーグのトップまで行きたい
・長く野球選手を続けたい
・新しいことをしたい、パイオニアになりたい

という、3つの希望を聞き出したそうです。

この後、日本ハムの栗山監督が大谷選手とご両親と面談したのですが、栗山監督は、
「僕の経験を踏まえながら、大谷選手側の立場で話をします」と、切り出し、
「アメリカの野球の実態を知っている僕が、もし、翔平君の親だったら、
絶対に日本プロ野球で実績を積んでから、メジャーリーグと契約すべきと主張します。
それは、一定の評価を得てからアメリカに渡らないと、
活躍しづらいという現実を知っているからです」と、本音で話したそうです。

この1カ月後、大谷選手は、「日本ハムファイターズに入団する」と発表しました。
決め手は、「二刀流をやらせてくれるという提案だった」と、大谷選手は語っています。
この時、大谷選手自身は、二刀流をやらせてもらえるとは思っていなかったそうで、
「二刀流」については、日本ハムから提案があったのが真相のようです。

大谷選手が語った、
・ただメジャーリーグに入るのではなくて、メジャーリーグのトップまで行きたい
・長く野球選手を続けたい
・新しいことをしたい、パイオニアになりたい
の3つの希望に沿った対応をしたことが、大谷選手の心を動かしたわけです。

 

・常識を覆すには

常識という先入観にとらわれない人たちが複数存在してこそ、
これまでの常識は覆るのだということを、このドキュメンタリーから学べました。

大谷選手が座右の銘にしている、「先入観が可能を不可能にする」は、
企業内の人財育成でも活用したい格言です。

「自分は、〇〇は苦手」
「これまでのやり方は、△△だったから、これでいい」
との先入観に支配されている人は、少なくないからです。

これからは、大谷選手の名前に触れるたびに、
「先入観が可能を不可能にする」の格言を脳裏に浮かべ、
自身の大いなる可能性を開花させる動きをしていきましょう。

 

※下記サイトもご覧ください。

日本初のレジリエンス研修専門サイト
>>>レジリエンス研修

※弊社オウンドメディアの『マネジメントDX』はこちら。
>>>https://management-dx.jp/

※動画マニュアル『Teachmebiz』の専用サイトはこちら。
>>>https://teachme.h-mbo.com/

代表取締役パートナー

平堀 剛

Hirabori Tsuyoshi

平堀 剛

1961年生まれ。東京都出身。

経歴

大学卒業後、電機メーカーに就職。先端技術の開発に汗を流すエンジニアを目の当たりにし、自分も何かをしたいと一念発起。学生時代からの夢、事業家(経営のプロ)を志しコンサルティング会社に転職。数多くの業界の経営実務に携わり上場(マザーズ)も経験した後に、小川とともに当社を起業。

コンサルティング・ポリシー

『本当の楽しみは、苦しみを乗り越えた者のみが味わえる』

支援実績(得意分野)

  • ◆目標達成に執着する管理者の養成
  • ◆顧客を愛顧客にする営業パーソンの育成
  • ◆中途・新卒社員の早期戦力化支援
  • ◆社員定着率の圧倒的な改善

当社での役割

  • ◆当社社員の家族への感謝の手紙発送
  • ◆社内懇親会のお店探しと予約
  • ◆参加が楽しくなる会議の企画進行
記事一覧

Contact

お問い合わせ

03-5795-1142
受付時間 平日10:00-17:00

Follow us

情報配信

アッシュ・マネジメント・コンサルティングでは、みなさまのビジネスのお役に立つ情報を発信しております。
Facebookもしくはメールマガジンにて最新情報をご確認ください。