株式会社アッシュ・マネジメント・コンサルティング

コンサルタント井口義隆のブログ

ハッと気づかされる大切なこと

プライベートと仕事は密接に関わっています。仕事と関係ないプライベートの
時間の中でも、アンテナを立てれば仕事に役立つことはたくさんあります。
そんな「ハッと気づいたこと」を大切にしたいという想いで毎月発信していきます。

#17

応援が与える力

2019年6月1日

皆さんこんにちは。
令和になってちょうど一ヵ月が経ちましたね。
この1ヵ月で私は初体験をしました。
それは100kmマラソンに挑戦したことです。
そこで今回はテーマをマニュアルについてではなく、
人の優しさと応援が力になるということを
100kmマラソンの話を通して書きたいと思います。

「柴又100km ~東京↔埼玉↔茨城の道~」 が今年開催されたのは
5月19日の日曜日。
この日は日中で25度まで気温が上がることが予想される日でした。
このマラソンは東京の柴又から茨城までの50kmを往復するウルトラマラソンです。
スタートは柴又にある公園で、タイムの早い人からスタートしていき、
14時間以内に戻って来なければならないルールがあります。
途中に関門と呼ばれる場所があり、
ここを一定の時間以内に通過できないと、その時点でリタイアとなります。
つまり14時間内にゴールすればいいだけではなく、
所々にある関門も制限時間内にクリアしつつ、
トータルで14時間以内にゴールするというのがルールです。

スタートは7時20分。
私は5時過ぎに家を出て6時45分頃に会場に着きました。
この日は妻も朝早くに起きて、一緒に付いてきてくれました。
私にとって初めてのマラソンだったので、
一緒に柴又まで来てくれただけでとても心強く感謝しています。
さて、到着して着替えをしてタオルを取りだし、早速やらかしました。
Tシャツもタオルも黒い!
何も気にせず持ってきたのですが、
黒は熱を吸収するので白がいいとのアドバイスを小川からもらい、
「持ってない…」とスタート前から焦りました。
幸い参加賞のTシャツが水色で、小川が取りに行ってくれたので
黒のTシャツは着なくて済みました。
スタート前に小川と妻のアドバイスとサポートがなければ
時間通りにスタート出来なかったと思います。
ちなみに、翌日妻から
「ちゃんと用意していきなさい!上司に面倒かけさせるんじゃない!」
と叱られたのは良い思い出です(笑)

そして緊張しながら迎えた7時20分。
スタートは元気に小川と妻に手を振り、余裕な感じで走り始めます。
走り始めてすぐ時計がブルッと震えました。
なんだろうと見てみると妻からの応援メッセージです。
これは非常に嬉しかったし、力になりました。
最初の5kmぐらいまでは知り合いが一緒に走ってくれて、
私もスタート直後なので楽に走ることができ、
1km6分30秒ぐらいの速度で走っていました。
走る前に妻から100kmを8分台で走り続ければゴール出来ると聞いていた私は、
6分30分で走れているので、
「8分まで速度は落ちないだろう。結構余裕だからこのままのペースでいこう」
と余裕を出していました。
しかし、私の走る実力を知っている妻が途中で
「6分30秒の今のペースじゃ体力が持たずゴールまで辿り着けないから、
少しペースを落とした方が良いよ」とメッセージでアドバイスをくれました。
私のことは妻がよく知っているので、メッセージをもらってからペースを落とします。
そのため一緒に走ってくれた方とは別れて、ここからは一人で走り始めました。
ペースは7分を維持。
15kmまではいいペースで進めていたのです。

ペースが落ちたのは突然でした。
それは15kmを超えたあたりから。
スタート~5km:32分49秒
5km~10km:36分40秒
10km~15km:37分09秒
だったのが15km~20kmで41分01秒と、40分の大台に乗ってしまいます。

この頃から少しずつ辛くなっていき、
20km~25km地点でのラップタイムは43分43秒でした。
そしてこの地点で応援に来てくれている小川に会います。
ペースダウンして、かなり苦しい時
もういっそ止まってしまいたい!そう悪魔が囁いていた頃でした。
でも、誰か応援してくれる人が見えた瞬間に力が湧き出るんです。
小川の顔を見ると、「よしっ!頑張ろう!」と力が湧いてきます。
苦しい時の応援は本当に力になるんだなぁと感じた瞬間でした。

ここからが私の本当の闘いの始まりでした。
30km地点でラップは48分02秒
この48分02秒は1km10分ぐらいのペースです。
これは歩きと走りを繰り返し行っているペースで、相当遅いです。
そしてこの頃に心の中の悪魔がポキポキと心を折り始めます。
・なんで100km出るって言っちゃったんだろう
・30kmでこんなに辛いのに42.195kmすら厳しいよ…
と段々と悪魔が囁き始めます。

救ってくれたのは一人の女性でした。
「嫁さんがゴールで待ってるんでしょ!こんな所でへばってちゃだめよ!」
と声をかけてくださった四国から参加している50代の女性です。
柴又ウルトラマラソンは背中のゼッケンに意気込みを書くことが出来るのですが、
私はそこに「嫁がゴールで待ってます!」と書いていたのです。
それを読んだ女性が背後から声をかけてくれました。
「このペースじゃゴールできないわよ!頑張って!」といって並走してくれたのです。
少し走っては歩くを繰り返して1km10分のペースの私には、
1kmを走る力すら残っていなかったのですが、
この四国の女性が並走してくれると不思議と走れるようになるのです。
その女性は前泊をして四国から来ていて、何度も柴又に挑戦していますが、
まだ完走できていないとのことでした。
今年こそは完走するぞ!と力強く言っていました。
この方と一緒に走ること3km、途中で色々な話をしました。
1kmすらまともに走れないのに3kmも7分台で走ることが出来たのには驚きました。
自分では限界と思っていても、まだまだそこから頑張れるということを知りました。
ちなみに3kmまでしかついていけず、お別れをしました。

そこからは妻のメッセージに力をもらいました。
妻から「関門まであと10km、
辛いと思うけど今の1km10分ペースだと間に合わないから少しペース上げよう!」
というメッセージが何度か届きます。
このメッセージが届くと力が湧き、そこからまた走れるようになります。

小川の応援
ランナーの並走
妻のメッセージ

一人で走っていたら、もっと早くに諦めていた私に力をくれたのは、応援の力でした。
しかし、ついにその時がやってきました。

それは49kmの関門でした。
ようやくたどりついた45km地点。
ここで平堀とすれ違い、元気をもらい、また走り始めた矢先です。
妻からメッセージが入ります。
関門まで残り3kmのところで「あと9分!頑張れ!」と。
私はフラフラで計算していなかったのですが、
残り時間と距離を計算するとほとんど関門突破が絶望的でした。
だって1km10分かかっているのに、あと9分で3km走らないといけないのですから。
100%無理です。
でも妻からの「出来る!」の一言に最後まで頑張ろうという気持ちが湧きます。
ここでロキソニン投入です(笑)
身体の痛みを取って、無心に走りました。

無理なことはわかっている
それでも最後まで諦められない

1kmを6分で走りました。
この先に体力を残しても、この関門を突破できなければ意味がないと全力です。

制限時間まであと2分…

あと1分…

関門が横目に見えてきます。
距離もあと少し…
制限時間もあとわずか…

そしてとうとう、その時はやってきました。
制限時間を過ぎ、とうとうこの49kmの関門を突破できずに、
私の初めての100kmマラソン挑戦は終わりました。
安堵とやり切った感と、もっとやれたのではという気持ちと、
色々な気持ちが混ざったゴールでした。
それでもフルマラソンの距離は走り切ったので、
自分を褒めたい気持ちの方が勝っていました。

ゴールした瞬間、妻からの「お疲れ様」と「感動した」の言葉は私にとっての宝です。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

こうして終わった初めてのウルトラマラソン挑戦。
もともとは「コツコツ練習すれば必ず100km完走できる。
コツコツやることが私達の仕事では大切で、
それをお客様に助言してやっていただく以上、
私達自身も体現しなければ何も言えない」
という平堀の提案から出走を決めた100kmマラソン。
練習が足りず49kmでリタイアとなってしまいましたが、
多くの学びがあった体験でした。

朝早くに一緒に行き、帰りも迎えに来てくれて、
走っている時もメッセージを送り続けてくれた妻の優しさを改めて感じ、
練習で50kmを一緒に走ってくれた平堀、
当日の朝文句一つ言わずに「俺が参加賞のTシャツを取ってくるか準備してろ」と言って
自分から取りに行ってくださった小川の姿勢から、
チーム一丸で応援・サポートするという姿勢を学び、
無償でランナーに対してキュウリの浅漬けやカステラ、飲み物を提供したり
声援を送り続ける沿道の人々と
知らない人に声をかけ並走するランナーの皆さんからは、応援が与える力を感じ、
自分で限界だと思っても、そこからさらに力が出る自分の底力を知りました。

上下関係や知人かどうかなんて全く関係ない、
ただ頑張っている人を応援するという素晴らしい人間性を肌で感じることができ、
アッシュの理念の中にある
・できないことは、出来ることを継続すれば、出来るようになる

と、行動指針の
・『共有』
:はじめは、自分が何かを得ることに夢中になってもかまわない。
でもいつかは育ててもらったことに感謝し、社会へ恩返ししよう。

という2つのことが、100kmを通じて自分のものになった体験でした。
皆さんも一度は挑戦してみると、
普段気付かないことに気付ける機会になると思うので、
ぜひ挑戦してみてください。

コンサルタント

井口 義隆

Iguchi Yoshitaka

井口 義隆

1985年生まれ。神奈川県出身。

経歴

大学卒業後、テレビ番組制作会社に就職。民放でディレクターを経験した後、企業プロモーション用Web映像の制作に携わる。映像業界の次のステージとして、映像機材の販売する営業職を経験。昼夜も関係なく、激務が当たり前の映像業界に関わる中で、人を大切にする企業、働いていて楽しいと思える企業を増やしたいという思いからアッシュ・マネジメント・コンサルティングに入社を決意する。

セールス・ポリシー

『人との縁を大切に。「出会っていただいてありがとう」を忘れない』

当社での役割

  • ◆水を切らさず、在庫抱えずの絶妙なタイミングでおこなうウォーターサーバー用の水の発注
  • ◆眼窩底を骨折しながらもキックボクシングの試合で勝利した執念と根性でおこなう新規開拓
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